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イスラ-ムとは何か 小杉泰

イスラ-ムとは何か (講談社現代新書)イスラ-ムとは何か (講談社現代新書)
(1994/07/18)
小杉 泰

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シーア派とスンナ派の違いがわかった。現在イスラーム教徒はスンナ派が9割、シーア派が1割を占める。シーアとは党派を意味する言葉である。

シーア派の起源は、第4代目のカリフ、アリーの代まで遡る。カリフとはムハンマドの死後のイスラームの最高指導者のことである。アリーはムハンマドの従兄弟であり、娘婿でもある。

アリーが4代目正統カリフに選出されたとき、シリア総督ムアーウィヤはそれに反対した。アリーはムアーウィヤ討伐に乗り出すが、戦争が長期化し、調停を行うことになった。その際に、反逆者を制圧できず、調停を行う指導者は罪人同然だとして、アリー支持から離れた一派があった。その一派をハワリージュ派という。ハワリージュ派はアリーと、ムアーウィヤの暗殺を画策し、アリーの暗殺には成功し、ムアーウィヤの暗殺には失敗した。

その結果、アリーの息子ハサンが五代目正統カリフに就任する。ハサンはムハンマドの孫である。
一方、アリーの死を契機にムアーウィヤはシリアのダマスカスを首都とするウマイヤ朝を立てた。

その後しばらくは安定期を迎える。ハサンはウマイヤ朝と争う気はなく、ムアーウィヤも反イスラーム的な態度は取らなかった。

しかしながら再び関係がこじれる事件が起こる。晩年のムアーウィヤは長老による互選という手続きをとらず、策を弄して自分の息子ヤジードをカリフ位につけた。この辺どうのような策を弄したかが書かれておらず、事件の詳細についてわからなかった。普通に考えて、ハサンの子がカリフ位に就きそうなのだが・・

この時期カリフ、ヤジードがとんでもない放蕩息子だった。人前で、酒を飲み公然とイスラームを批判した言動をとった、これに怒ったのが、ハサンの弟フサインである。

彼は、ヤジードと戦うため、支持者のいるクーファへと向かった。クーファへ向かう道中カルバラーにてフサインはヤジードの軍隊に包囲され殺害されてしまう。

この際、フサインを招聘したクーファの民はフサインを援護することができなかった。

こうしてクーファの民はタウワーブーン(悔悟するものたち)と名乗り布教活動を始めた。これがシーア派の原点である。

他にも色々ためになった。
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