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もてない男 小谷野敦

もてない男―恋愛論を超えて (ちくま新書)もてない男―恋愛論を超えて (ちくま新書)
(1999/01)
小谷野 敦

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著者は恋愛なんてできなくても問題ないんじゃないと提案しています。私も著者の意見に同意します。

恋愛なんて自分とは関係ないと思っている人なんていくらでもいる。そういう人が大手を振って歩けるような世の中になってほしい。

月収15万で、恥ずかしくて自分の収入を口に出すことができない人なんてあまりいないだろうけど、恋愛したことがない人は本当に口に出しづらいそういう雰囲気を変えてほしい。

ところで著者はフィリップ・ロスのさようならコロンバスは読んではいけないといっているが、読んでしまいました。
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アンドレイ・タルコフスキー 僕の村は戦場だった

僕の村は戦場だった [DVD]僕の村は戦場だった [DVD]
(1998/07/25)
ニコライ・ブルリャーエフ

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うーん。つまらん。文学だってつまらんと言う人もいるかもしれないが、文学よりもつまらん。

amazonのレビューを見てこれをほめる人は権威主義者に違いないと思ったけれど、私もそう思われている可能性があるので微妙です。

言い訳に聞こえるかもしれないけれど、文学は実存の問題を扱っているともいえるから好きです。

この映画はそういうものがなくて残念でした。

長いお別れ レイモンド・チャンドラー 清水俊二

長いお別れ (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 7-1))長いお別れ (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 7-1))
(1976/04)
レイモンド・チャンドラー清水 俊二

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いやー。気持ちがいいです。とても気持ちがいい文体です。結局レノックスとマーロウはお別れしちゃうんだけど、最良の心の通った友人であったという風に書いてあったとは私には思えなかった。うまくいえないけれど、少し気があった二人であったというだけだと思う。最初の部分を読み返していないので、あやふやですが。

人生の一時期であってもよい関係を作れるって言うことはチャンドラーの目から見たらこんなにも切なく心地よいものと感じられるのだなと感心した。本当に短い間だけでも友人関係があったということは、人にとって尊いことなのかもしれないです。

宮台真司 終わりなき日常を生きろ

終わりなき日常を生きろ―オウム完全克服マニュアル (ちくま文庫)終わりなき日常を生きろ―オウム完全克服マニュアル (ちくま文庫)
(1998/03)
宮台 真司

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宮台真司はどのように自己規定しているのだろう。当事者意識というものが感じられない福田和也とかのほうが、生活者としての当事者意識があるような気がする。

夏目漱石 坊ちゃん

坊っちゃん (新潮文庫)坊っちゃん (新潮文庫)
(1950/01)
夏目 漱石

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坊ちゃんてものすごいいじめられっこだったんですね、知りませんでした。

生徒からなめられまくってます。結局職を追われてしまいます。

かなり惨めです。全国のいじめられっこ諸君。これを読んでいじめに対する処世を学んでください。

いじめが続いても強気で言い返してれば、そんなに惨めに見えない。悲惨な感じはでない。

これが俺だったらやばいことになってます。泣いちゃうかもしれない。

なかなか難しいかもしれないけれど強気で攻め返せばいいのです。

いやなこといわれても負けるな!

で内容に関して考えてみたのですがこれが勧善懲悪というのはどうも世間ずれしすぎているような気がするな。

職を追われているじゃないですか坊ちゃんは、完全なる敗北ですよ。

橋本治に言わせれば近代が前近代に負けた小説であるということになるなかな。

とにかく、坊ちゃんは完敗します。

しかしながら、戻るところがあるところが味噌ですね。

いくべきところ、戻るべきところを示唆する小説ってよくあるけれど、俺にはそんなところないんだよな。

終わりなき日常なんて生きたくない。

09年05/24追記

行くべきところ戻るべきところっていうのは完全に自分独自の表現であったのだが、宮台氏と堀内進之介氏の議論の中で行くべきところ帰るべきところという表現がでてきてびっくりしました。この文章の〆はもちろん宮台氏からの引用ですが、その直前の文まで宮台氏の言葉である偶然に驚きました。人間疎外か?

村上春樹 安西水丸 村上朝日堂の逆襲

村上朝日堂の逆襲 (新潮文庫)村上朝日堂の逆襲 (新潮文庫)
(1989/10)
村上 春樹安西 水丸

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ちょっと前に読んだのだけど内容は忘れてしまいました。彼のエッセイに通底する独特の暖かくなるような雰囲気が好きです。

いわゆる文学のそれとはまったく質の違う心地よさではあるのですが。

村上春樹 国境の南、太陽の西

国境の南、太陽の西 (講談社文庫)国境の南、太陽の西 (講談社文庫)
(1995/10)
村上 春樹

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私が300ページの小説を一日で読了することなど初めての経験といってもよいくらいなので、よほど読みやすい小説であるだろう。

文庫本の裏には日常に潜む不安をみずみずしく描く話題作と記してあるが、この作品のどこが日常に潜む不安なのだろうか、完全にロマンティストが書いた小説であるとしかいえないであろう。

この作品中で描かれるような感覚を抱く人間は5000人に一人ぐらいなのではないか。

いやもっと少ないであろう。

村上氏もこのような感覚を持ちえたかどうか私には推しきれないが、おそらく持っていないのではないかと思われる。

村上氏の作り上げた完璧なフィクションでしかありえない世界がこの作品には描かれている。

それにより、村上氏が何を伝えたいかは私にはやはり判然としないのだが、性的描写などもありとても引き込まれる小説であることは間違いないであろう。

山田詠美のようなそこには恋愛しか書かれていないような小説とはまた感じが違うのだが、私にとって切実な何かが書かれているような感じはあまりしなかった。ただただ作品世界を楽しんだだけであった。

ところで、高橋源一郎氏が自分は1951年1月1日生まれで20世紀のちょうど真ん中の日に生まれたと発言していたのだが、そのネタ元らしきものが本日判明した。この小説の主人公は1951年1月4日生まれで20世紀後半の最初の月の最初の週に生まれたと自己紹介している。

高橋氏はこの小説を読んで自分が20世紀のちょうど真ん中に生まれたと気づいたのではないかなどと邪推してみたがとっくの昔から知っていたのかも知れぬ。

また話題が小説に変わるが、この小説は村上氏よりも10年程度遅れて進行している小説である。

というのはどういうことかというと、村上氏は大学卒業後喫茶店を10年ほど経営した後に作家になったが、この小説の主人公は10年ほど、サラリーマンをした後ジャズバーらしきものを経営する。

村上氏が意図的にこのズレを生じさせたことはあきらかである。ここから何か読み取るとかは私の技量では不可能だが、そういうタネをわかりやすく提示してくれることは読者としてうれしい限りである。
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